女 王 Z E N O B I A
パルミラの首長オダエナトゥスは、東方から侵入してきたササン朝ペルシャを撃退し、ローマ皇帝から東方領の行政総監督官として「諸王の王」の称号を与えられた。
オダエナトゥスの死後、267年その妻ゼノビアが息子ウァバラトゥスの名において権力をわがもとした。こうしてクレオパトラの末裔と称する、野心家で強情で名高い女王ゼノビアが王位についた。
彼女はオリエントで最も気高く最も美しい女性であった。
「事を処するには聡明着実、細心大胆、起居振舞いは堂々としており時に応じて寛大であり、厳格であった。」
彼女は教養豊かな女性で、何か国語も話し、司教や哲学者とも交流があった。兵士達と共に騎乗し、指揮官となり兵士達に演説した。気高くたぐいまれな美貌と、射るような黒い瞳のまなざしは、部下の兵士達を魅了した。狩猟を好み、勇気は男にまさったといわれる
ゼノビアはパルミラの女王として、7万の軍隊を率いてエジプトに遠征し侵略した。大国ローマに戦いを挑んだのである。
パルミラ軍は破竹の勢いをもって領土を拡大、271・2年エジプトを進撃、次いで小アジアの大部分を征服して大パルミラ帝国を築き上げた。息子のウァバラトスに皇帝を名乗らせ、ゼノビア親子の肖像を刻んだ貨幣をアンティオキアとアレキサンドリアで発行し、パルミラ帝国の成立を宣言したのである。
これに対しローマのアウレリニアヌス皇帝は272年パルミラ大討伐の軍を興し、ゼノビア軍を一気に殲滅した。ゼノビアは妥協を提案するが、ローマ皇帝は拒絶した。
そこで彼女は自分の息子をアウグストゥスであると唱え、「皇帝の母」アウグスタの称号を自らに与え、全ローマ帝国を要求した。ローマ皇帝はエメサで勝利をおさめ、ゼノビアが退却してもどっているパルミラに攻めかかった。ローマの兵士は、夏の暑さに苦しみ、何度もベドウィン族の攻撃を受けた。女王はよく踏みとどまったが、しかし勝利は無かった。ローマ皇帝はゼノビアに降伏するようにうながしたが、気位の高い彼女のさげずむような拒絶にあった。パルミラでは食べ物が不足し始めた。女王はペルシャに逃れようとしユーフラテスまで行こうとする途中河岸でローマ人に見つかり捕らえられた。紀元272年のことである。翌年ローマ軍はゼノビアの王国を完全に破壊した。
パルミラは最も輝ける絶頂のときに滅んだ。
ゼノビアはローマへ連行される旅の途中、病気で死亡したという説、ローマで首をはねられたという説、ローマの婦人として裕福な余生を過ごしたという説がありよくわかっていない。
ローマ帝国に対するゼノビアの至高の権力は3ヶ月続き、パルミラの覇権は300年続いたが、その後街は砂漠の砂に返された。
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